私は京マチ子が、大映映画が好きなんだ。
今年5月に亡くなった京マチ子。没後、京マチ子出演作のブルーレイ発売が決まったり、京マチ子映画祭があったり、亡くなる少し前には京マチ子に関する論文をまとめた本が出版されたりと、話題が続いている。
ミュージカル仕立ての黒蜥蜴
未読。読みたい。
「黒蜥蜴」「夜の蝶」と続いて京マチ子出演作を見て、京マチ子の明るさ、包容力、そしてここぞ!というところで見せる爆発力に魅了された。そして改めて、私は大映映画が好きなのだということを再認識したところ。
谷崎のお気に入りだった京マチ子
谷崎潤一郎のエッセイに、京マチ子について書かれたものがあったはず。と思い、以前の全集を購入した際作った目録を見てみた。しかし京マチ子の名前のあるタイトルのエッセイが見当たらない。勘違いかと思っていたところやっと発見。「女優さんと私」昭和36年10月に朝日新聞に掲載されたものが探していたそれだった。前半が淡路恵子について、そして後半は京マチ子について書いている。少しだけ紹介してみる。(現代仮名遣いを用いる)
女優さんと私 京マチ子
この春京都北白川の義妹の家へ泊りに行ったら、小学校三年生の孫娘のたをりが友達を二三人呼んで来て次のような歌をうたって遊んだいた。
キーシ、キシ、キシ、岸恵子
ハイアに乗るのは長谷川一夫
京都美人の京マチ子
三人揃って佐田啓二
「京都美人の京マチ子はどうかな、京マチさんはたしか大阪生まれの筈だよ」
と私が云うと、
「そうかて京マチ子云うねんもん、京都生まれやんか」
と、たをりはなかなか承知しない。なるほど、私は京マチ子を大阪人であると頭からきめてかかっていたけれども、そう云われれば京都で後に大阪に移ったのかもしれない。たをりの母である千萬子に聞くと、この歌は京都だけで流行っている、東京は勿論、大阪の人も知らないらしいと云う。何にしても京マチ子を京都に取られては大阪の人は不服であろう。(後略)
そうそう、このわらべうたの印象が強くて、覚えていたのだ。谷崎は京マチ子をひいきにしていたらしい。京マチ子が谷崎邸を訪ねて来た時、あまりの美しさに谷崎も松子夫人も見とれてしまったことや、また、谷崎原作の映画にも数本出ているが、中でも「春琴抄」の京マチ子は「自分が夢に描いていた幻影そのままの姿であった」と絶賛している。しかしこのエッセイのキモはわらべうただ。キーシ、キシ、キシ岸恵子~と、知らず知らずのうちに、適当なフシをつけて歌いたくなってしまう。