沢田研二の話である。
ジュリー沼に落ちて数か月経つ。様々な年代の沢田をYouTube大学にて学んでいる最中ではあるが、私のイチオシは70年代~80年代初期、正確にいえば、田中裕子に出会うまでの82年以前の沢田である。
沢田研二は歌手デビューの初期から並行して、役者の仕事も多い。タイガース時代のアイドル映画だと67年から、テレビドラマは72年「刑事くん」「太陽にほえろ」75年に「悪魔のようなあいつ」、78年「七人の刑事」にゲスト出演、映画は79年「太陽を盗んだ男」などなど。
70年代の出演作の共通点は、たいてい犯罪者で、死ぬということ。射殺されてみたり、自殺してみたり、とにかく死ぬ。死なないことのほうが少ない。久世光彦はジュリーにほれ込んで「悪魔のようなあいつ」を制作したけど、死ぬのは規定路線だったらしい。脳腫瘍で余命いくばくもないって設定は、脚本の長谷川和彦はすごく嫌で抵抗したけど、久世光彦は押し通したと言っている。それでなくても撃たれまくって死ぬけど。
この頃の沢田研二の持つ酷薄な美しさ、虚無は、殺さずにはいられないものだったと思う。生かしてはおけないというか。
三島由紀夫の「黒蜥蜴」の女主人公緑川夫人が、若くて美しい早苗を殺して、その美しさを永遠のものとして、標本にしたいと願ったように、私たちの心の奥にもそういう願望があるのだと思う。
そして沢田研二は死ななくなる。2002年に三池崇史監督「SABU~さぶ」に出演し、そのパンフレットの中でこう言っている。「僕の演じた岡安喜兵衛は、栄二に影響を与えるいい人の役なので、ちょっと意外でした。これまで原爆を作ったり女を泣かせたりする役が多かったじゃないですか。それで、最後はたいてい死ぬんです(笑)」
2000年にはいって、50代を迎えた沢田研二はいい人になって、死なないのだ。
誰の心の奥にもひっそりと、若くて美しい人をそのままとどめておきたいという願望があり、70年代の、20代の沢田研二は、その欲望を掻き立てまくっていた。だからたいていの場合、死んだ。生き残って力強く生きるなんて、想像できなかったほど、美しかった。
でもやっぱり、82年に田中裕子に出会ってから彼は変わったのよね。殺されなくなった。死ななくなった。実存性を獲得したのだ。そして生き延びて、普通のおじいさんになった。