美貌録

美容、装い、読書、映画など、心と身体を動かし轟くものを集めて、束ねて書くchisa/千祥のブログ・ディレクトリー。

ジュリー沼にハマっているわけだが#私の推し

YouTubeのアルゴリズムはよくわからないが、ある時から「夜のヒットスタジオ」の切り抜きみたいなのがバンバンあがってきていた。たぶん、以前にYMOがゲストの回を見たからかな。その後もYMO抜きで昭和50年代あたりのやつで山口百恵とか出てくる回のなにかを見たからなんでしょう、さらに沢田研二登場回のが上がってきて見たわけで。この回は1977年5月23日だそう。

 

youtu.be

 

その後夜ヒットの沢田研二登場回は大体見てしまい、気が付いたら主演TVドラマなどもザッピング。毎回上半身がほぼ裸の「悪魔のようなあいつ」、アパレル会社のモテモテ優柔不断リーマン役の「いつか黄昏の街で」、流し目がごっつやばい「源氏物語」、ちゃらちゃら京都のボンの「嵐立つなり」などなど見まくり。サンキューYouTube。

 

 

その後、また検索の嵐。そして、沢田研二のファンダムに畏敬の念を持つに至る。大体、沢田研二がソロになったあたりのTV出演のVTRや、レギュラーで持っていたラジオ番組などが、ほぼすべて、すべて!YouTubeに競うように投稿されているのだ。1970年代って、まだ家庭用ビデオの出始めの頃でしょう。かなり高価だったはずで、にも関わらず、たいていのものはほぼすべてあるのだと思う。2021年はソロデビュー50周年だったらしいのえらいこっちゃ。50年分のアーカイブがあるってことである。

 

沢田研二本人は昔から、過去の栄光にすがるのが大嫌いで、昔の曲を歌うのを引き換えにTVに出たりするのが嫌だそうで。そしてデビュー当初から毎年アルバムをリリースし、それを引っ提げてコンサートツアーをするというのをルーティンにしているという。こういう情報も、YouTubeにアップされているラジオ番組の彼に発言とか、投稿に付されるコメントなんかで学ぶ。私自身は彼の全盛期は小学生~中学生で、数々のヒット曲は知ってはいるものの、ファンではなかった。そのころの私には、彼は大人過ぎたのだと思う。

 

2021年現在、YouTubeの膨大な沢田研二アーカイブを見て、私の知らなかった沢田研二をたくさん発見した。フランスでデビューし、フランス語で歌う彼。TVドラマで演じる彼。ヒット曲に恵まれなくなり、舞台で活動した80年~2000年代の彼。白髪の太ったおじいさんになった彼。どれも沢田研二の一形態であって、すべてが沢田研二であることに違いない。

 

沢田研二自身は、過去の自分を見たり、話したりすることに興味がなくて、むしろ、過去の栄光より、今の自分を表現することに重きを置いているようなので、YouTubeで過去の膨大なアーカイブを初見して、新たにファンになってくれる層にも興味なさそうではある。20世紀は映像の世紀と言われるけれど、21世紀は個人が映像を享受する世紀だなと思う。YouTubeにアップされる沢田研二関連の動画のほとんどは違法アップロードに違いないが、これを完全に止めることはできない。そして、沢田研二の全盛期を知らない若い人や、私のような当時はファンではなかった人が、様々な年代の過去の沢田研二に出会ってしまう。

 

 

出会ってしまうと、本当に気になる存在で、特に70年代の沢田研二の魅力を見つけてしまうとヤバい。これぞ沼。私個人としては歌っている沢田研二も素敵なのだが、70年代~80年代の、正確に言うと田中裕子に出会う前、82年までの沢田研二の演技が恐ろしく虚無的で良い。彼が何を考え、何を求めているのか理解不能というか、予測不能な恐ろしさを秘めていて、その瞳の奥は巨大な伽藍洞があるような、底知れない虚無がある。

 

 

「悪魔のようなあいつ」などは、男娼の役だからなのだけれど、大体毎回、肌を拝める。薄いカミソリのように細く、また、筋肉が見当たらないのが憎い。少しでも鍛えて、かっこよくなりたいなんてこれっぽっちも思っていない、若さの不遜さと危うさがある。あー、ヤバい。

 

なぜ82年までの、田中裕子に出会う前の沢田研二の演技がいいかと言うと、以降では虚無が消えてしまうからである。沢田研二は田中裕子と出会ったことで重力を得る。地に足が着く。田中裕子は沢田研二に実存性を与えた。良くも悪くも。

 

 

私は今現在の沢田研二も好きだ。でも70年代の彼は特別だ。きっと沢田研二はそれを嫌がるだろうが。沼とはよく言ったもので、中々這いあがることができない。