美貌録

美容、装い、読書、映画など、心と身体を動かし轟くものを集めて、束ねて書くchisa/千祥のブログ・ディレクトリー。

嵐の大野くんの心配は的を得ている。

1990年代半ばの「non‐no」での出来事。

1990年代なかば、私は広告代理店で外資系コスメブランドの営業をしていた。バブルが弾けたとはいえ、広告業界にはその陰りはなかった。特に雑誌広告の盛況ぶりはすさまじかった。*1

 

私が担当していた雑誌のひとつが「non‐no」であった。「non‐no」は1971年創刊の女性誌である。ファッション誌というくくりに入るだろう。当時の「non‐no」は月2回発行(5日と20日)、80万部という驚異の発行部数を誇っていた。中学生から高校生、大学生、20代前半のOLなど、幅広い読者層を獲得していた。

 

「non‐no」の編集タイアップを一気に引き受けていた編集プロダクションが所有するハウススタジオは、中央線沿線のある駅からほど近くにあった。私は月のうち、2、3日は「non‐no」の編集タイアップ制作の立ち合いのため、そこに通っていた。

 

当時の「non‐noモデル」は甘糟記子さん。読者にはアマカスちゃんという愛称で呼ばれ、特別に美人ではないけれど、そのボーイッシュさ、親しみやすいかわいらしさで大人気であった。実際には身長が170センチ近くあり、手足は伸びやかで、顔は驚くほど小さく、あんな素敵な女の子はザラに見かけるようなものではなかった。彼女は特別な女の子であった。

 

アマカスちゃんをヒエラルキーの頂上に、その下に「non‐noフレンド」というモデルたちもいた。編集タイアップの撮影は、フレンドたちをメインに進められていた。

 

80万人に見つめられて毛穴がなくなった女。

私が足しげくそのハウススタジオに通っていたころ、xxちゃんという「non‐noフレンド」がいた。ボーイッシュなアマカスちゃんとは異なり、ロングヘアでふんわりとした丸顔が可愛いらしく、女の子らしい雰囲気のモデルさん。ただ、個性という点ではアマカスちゃんには及ばず、だからその他大勢の「non‐noフレンド」なのだった。よほどがっつり「non‐no」を読みこんでいなければ、顔と名前が一致することもない、そんなクラスのモデルさんであった。

 

xxちゃんと撮影していたときのことだった。そのハウススタジオを所有する編プロのKさんが、xxちゃんの頬を手の甲でなでながら「xxも、non‐noのモデルの肌になったねぇ…」とうっとりとしながら言った。私は驚き、Kさんにその意味するところを聞いた。「この子、毛穴がないでしょう?」と、Kさんは答えた。たしかに、xxちゃんの肌には、毛穴が見当たらなかった。

 

アマカスちゃんを頂点に、xxちゃんは何番手だったろう。おそらく4番手、5番手くらいのモデルさんだ。それでも、「non‐noフレンド」になって、毎月80万人の読者から見つめられること約1年で、毛穴はなくなり、肌は発光しているようにつややかになると、Kさんは言うのだ。確かにxxちゃんの肌はノーメイクでも、ただものではないことを教えてくれていた。

 

嵐の大野くんの発言にハッとした。

なんでこんな思い出話をツラツラ書いているかというと、先日の嵐の記者会見で、大野くんのテレビにあまりでなくなるって老け込んだりするじゃないですか。それは正直怖いので、4人以上に気を付けてお休みしていこうと思います」という発言を聞いて、急に思い出したからだ。

 

大野くん、あなたは正しい。

 

いまは日本中の女の子の視線にさらされ、黄色い嬌声にかこまれ、精神的にも物理的にも不自由をかこつていて、辛いのはわかる。だが、無数の視線にさらされなくなってごらん。可及的速やかに老けていくから。芸能人の仕事って、本当に大変だと思うよ。でも、それとひきかえに得るのはお金や名声だけではない。ファンからの無数の熱い視線を得ることで、若さやオーラを獲得するのだ。

 

スターのオーラは、アマカスちゃんには及ばず、それでも、毎月モデルとして活動し、多くの羨望の目にさらされるだけで、毛穴はなくなり、肌にはツヤツヤとした光が宿っていたxxちゃん。大野くんなんて、もっとすごいことになっているわけでしょう。休業している間に、うっかり老け込むことは簡単。若さとオーラをキープするのは至難だ。そしてそのことを大野くんはよく知っている。

 

 

 

 

*1:有力女性誌の中での「ポジショニング」問題がヒートアップしていた。年間を通し、何ページ広告を入れるかによって、良い位置に広告を入れられる約束を出版社とかわすのである。私が担当していた外資系コスメブランドも、その位置を守るため、純広告の大量投下、そして編集ページのように見せかけて作る「編集タイアップ広告」を量産していた。